Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-31-2005
ファンタシーフットボール (fantasy football) という遊びをしている。今アメリカで大流行のゲーム。実在のプロ選手を選んで自分のチームを作り、自分に入るポイントはその選手たちの活躍度によって決まる。僕は学部内のリーグに参加している。参加者はのべ 14人で、僕のチームは今のところトップを走る。
どの選手を自分のチームにとるか、というのはドラフトで決まった。本当のフットボールのシーズンが始まる前にこの 14人でオンラインドラフト会議を開いて、選手を獲得していった。僕は第一順で Packers の QB Brett Favre を取り、その後、Marvin Harrison, Brian Westbrook, Hines Ward, Larry Fitzgerald, ... と取った。
今週は Favre が 5回もインターセプトされるし、他のオフェンス陣も大した活躍はしないしで、散々な結果となったが、それでも僕のチームは通算 6勝 2敗で単独首位。
ちなみに僕のチームの名前 Fighting Sheep も評判が良い。
もともとフットボールは好きなので、この遊びもかなり楽しい。でもテレビで試合中継を見ている時も、常にこのリーグの結果が気になるので純粋にゲームを楽しめなくなったかもしれない。例えば応援している Pittsburgh Steelers の選手がその週対戦する相手のチームに所属していると、その選手を応援していいのか、活躍しないことを願っていいのか、複雑な気持ちになる。
ちなみに参加費用はただ。お金をちょっと払うとその道のプロの解説が見れたり、というサービスがあるけど、そこまで真剣じゃないので、お金を払うサービスは一切使っていない。優勝賞金・賞品はなし。優勝者に与えられるのは、次のシーズンまで「バイオスタット学部でフットボールを一番よく知る男(女)」として威張り散らす権利だけ、だそうだ。
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-30-2005
今日、日曜日に日曜大工で台所の流しの下のパイプを直した。修理前 はなんだかゆがんでいた。修理後はこんな感じ。うぅん、大して変わってない・・・ま、でもとりあえず今のところは快調に流れているのでよしとしようか。
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-29-2005
ピッツバーグ時代の友達、キャサリン から泰河誕生のプレゼントが届いた。
その中に The New Yorker の切り抜きが入っていた。これは泰河あてじゃなくて僕あてかな。何かと思ったら村上春樹の新作小説だった。
WHERE I’M LIKELY TO FIND IT と THE KIDNEY-SHAPED STONE THAT MOVES EVERY DAY 。日本語のタイトルは「どこであれそれが見つかりそうな場所で」 と 「日々移動する腎臓のかたちをした石」
どちらも New Yorker で読める。買わなくても読めるところが太っ腹。
それにしても日本語発表から半年もしないのに英語に翻訳されるんだなぁ。
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-28-2005
カリフォルニア大学からダン君が訪問中。若いけど研究実績が豊富。うちの学部とつながりの強い University of Washington 卒業。 何年か前の学会で会った。
研究分野が似ているので興味深い話がいろいろ出来た。今やろうとしているけど時間が取れなくてなかなか始まらない研究について、かいつまんで話したらかなり興味を持ってくれた。僕があまり得意でない彼の専門分野(生存分析)の部分を受け持ってくれる、とも言ってくれた。頼もしい。
臨床実験で非常に人気のある試験デザインがあるのだけど、その使われ方が十中八九間違っている。それがどうして間違っているのか、どのくらい深刻な問題か、というのを書きたいなぁ、と一年ほど暖めている。どうやらこれで動き出すかな、このプロジェクト。
そういえば、2004年のイチローのヒットの数の分析結果を見せたらとても喜んでくれた。どっかで発表しなよ、と言われたけど、発表するならここでしよっと。
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-27-2005
ニュース。
1. CIAがブッシュにブログの停止を要請。
2. ナサの高官がスペースシャトルを私用。
3. ピッツバーグはゾンビの攻撃に対してなすすべなし。
4. サンリオの新キャラクター「バツイチ」。
5. 忍者「テンチューマル・トシロウ」会社の同僚 12人を殺害。
ニュースの出所は Onion.com。
ま、もちろん本当のニュースではなくて、隅から隅まで全部ジョークの新聞だけど。
1の ブッシュのブログ は、ブッシュが自分のブログで国家機密を漏らしている、という内容で、芸が細かいというか、ちゃんとそのブログの抜粋まである。
2の NASA の高官 のニュースは、スペースシャトルをバックにゴルフをやっているマイケル・グリフィンの写真が笑える。ここに書かれている Michael Griffin というのは実在の人物。
3の記事によると、ピッツバーグは ゾンビの攻撃 にあったら壊滅するらしい。ここに出てくる市長、トム・マーフィーも本当にピッツバーグの市長さんだった。
4. サンリオの新しいキャラクターは イルカの「バツイチ」。サンリオが詳しいキャラクター設定をしている。それによると、名前の通り、去年奥さんと離婚。子供は二人(ポーピーとフィン)で隔週の週末に会いに行っているそうだ。タコスが好きで、ヤミーという名前のレンジと友達。同僚のイカの「ミサコ」をデートに誘いたいらしい。これからのキャラクターグッズの主力になると、サンリオは期待している。
5の 忍者による殺人事件 はちょっと古くて 99年の事件。天井からぶら下がって刀で殺戮している忍者の写真まで載っている。逮捕されたテンチューマルは、牢屋で切腹することを望んでいるそうだ。
と、まぁ、下らないサイトではあるけど、実に手が込んでいて面白い。News Week とか読んで英語読解力をつけようとするより、よっぽどこっちの方がいいと思う。ラジオニュース もあるし、毎週月曜日には偽ブッシュの ラジオ演説 も聞けてヒアリングの練習にもなる。
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-24-2005
今朝、台所のゴミ・ディスポーザー(生ゴミ処理機)が壊れた。(写真はシンク sink [流し] の下の様子)アメリカではほぼどの家庭にもあるこの機械、生ゴミを砕いて水といっしょに流してしまう。ただ、たまねぎの皮が曲者で結構大きいまま流れてしまう。
うちの台所のパイプは写真の様にかなりいい加減な作りで、まっすぐであるべき所がゆがんでいる。被害はないかな?と今まで放っておいた。
赤丸の所で、たまねぎの皮が詰まった。さらにコーヒー(粉状)が小さな隙間も完璧に埋めて、ここで水が流れなくなった。そうとは知らずに生ゴミ処理機を使い続けたら、圧力がかかって生ゴミ処理機の部品がふっとんだ。
月曜日の朝から日曜大工をするはめになった。とりあえず、パイプをきれいにして、ふっとんだ部品を付け直した。かなり時間がかかったけど、応急処置はそれで終わり。近いうちにここのパイプをみんな付け替えようっと。
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-22-2005
炊飯器が壊れた。かなり昔に友達から 10ドルで買ったものなので文句は言えない。新しいのを富士山ドットコムで買った。ついでにグリルパンも買った。
300ドル以上で送料無料というのに踊らされて、ついでにリージョンフリーの DVD プレイヤーも買った。
そういえば、富士山ドットコムを始めたアントニオ君はバークレーの時の同級生だ。アルクの正康君らといっしょにサッカーやったりしていたなぁ。今は昔。
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-19-2005
ところで、このウェブページはフレームを使っているように見せておいて、実はフレームは使っていない。全ページに共通の部分もいちいち、全ページに同じ html が繰り返し書かれている。どこかで、「フレームはもう時代遅れで、扱いが不便だからやめよう」というのを読んだので、そうなっている。だからといって、テーブルを駆使しているから、これはこれで不便ではある。
そういう訳で、ちょこっと変えると、いろんなページでちょこっと変えなくてはならない。例えば、ランダムウォークに一話付け足すと、10近いページの「もくじ」を全て変えなくてはいけない。
でももちろん、ひとつひとつ、ちまちま変えている訳ではなくて、複数のページに渡って置換作業ができる、TextSS というソフトを使っている。ただで手に入るんだけど、かなり使える。このソフトを使うと、このウェブページに現れる「ナッシュビル」を一挙にみんな「ナシュビル」に変えるとか、とても簡単に出来る。
html 編集作業には、Style Note というソフトを使っている。これもかなりすごい。フリーでこれだけできるのか!ということまで出来る。お勧め。
ところでうちからもリンクを貼っている山本さんの The Path がすっきりとブログになった。今はやりのブログだけど、こうやってちゃんとカスタマイズ(日本語で何て言うの?)するのはきっと大変なんだろうなぁ。「びいたま」は気力体力ともに不十分な為、ブログ化の予定なし。急速に時代遅れになっているのかもしれない。
つけたし : ご存知の通り、この辺のエントリーはブログ化以前に -- 付録 -- に書いていたもの。「ブログ化の予定なし」と宣言してから一ヶ月未満でブログ化を果たした。未来の予測はできない。
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-14-2005
まだ落ち着いて仕事が出来る状況ではないのだけど、昨日からぼちぼち仕事を再開した。今日も夕方からデータ解析をして 5時半頃に共同研究者に提出。金曜日の夕方だから、それで終わりかと思ったら、6時頃、その人から質問と新たな要求が来た。金曜日の 6時過ぎまで働いてるなよぉ。
僕もこの仕事はかなり待たせているので、その後、夜だけど続行。 10時に再提出。 Have a nice weekend! (意訳 : 月曜日まで返事しないでね)とメールの最後に書いたので、これは一件落着。(そ、そうか?)他にも、今僕が育児休暇を取っていることを知らない人からの仕事の依頼が来た。ま、のんびりやろうっと。
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-11-2005
約束 : 子供の話を子供の視点・一人称で書かない。
「パパはボクをだっこして変な動きをしまちゅ」とか。
別にそういうのがいけない、と言っている訳ではなくて僕はそうは書かない、というだけ。ま、約束するまでもなく。
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-10-2005
今、仕事に行っていない。育児休暇。特に期間は決めてないけど 4週間ほどは自宅待機かな。こうやって好きな時に休める(家で仕事ができる)のでうらやましがられることがあるけれど、これはこれで大変。僕の職種の場合、あまり締め切りというものがない。年に数回、助成金願書締め切り間近の時以外は、たいてい自分の仕事の締め切りは自分で決められる。
何時に来て何時に帰るというのも決まっていない。極端な話、ミーティングなどにさえ出ていれば、それ以外の仕事を全て自宅でやっても誰も文句は言わない。
でも、というか、だから結構シビア。働いた時間は全く関係なくて、どれだけのことを達成したかだけが評価の対象になる。週末に仕事をしても夜中までオフィスで働いていも、誰も気づいてくれない。評価の対象は、何本学会誌に論文を載せたか、など、数えられる物ばかり。
一応一年に一度、評価されるけど、本当の評価は 7、8年目。仕事を始めて 8年の間に達成した内容によって、その後終身雇用 (tenure) になるかが決まる。tenure が取れなかったら別の仕事を探さなくてはならない。だから今こうして育児に専念しているけれど、その分いつか余計にがんばらないといけない。でも子供の人生の最初の 4週間つきっきりでいたい。
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-08-2005
先日「長男誕生の予定日まであと 10日あまり。」と書いたけど、その後すぐ 3日に生まれました。(ずっと前から決まっていたけど) 泰河(たいが)と命名した。まだ生まれて 5日だけど、いろいろあったぁ。ふぅ。
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-03-2005
誕生の話1:陣痛
誕生の話2:麻酔
誕生の話3:プッシュ
誕生の話4:誕生!
誕生の話5:泰河
妻まりの出産予定日は2005年10月12日だったけど,出産はちょっと早まって10月3日(月)だった.
その前の金曜日の夜,日本に帰国する友達のお別れ会を仲良し4家族(含乳児2人)で開いた.「もう少し出産が早まったら会えたのにね」と帰国の友達は寂しそうだった.まりはこの集まりをとても楽しみにしていたので,これが過ぎたらいつ産んでもいい,と前々から言っていた.
翌日の土曜日は特にこれといったイベントはなく,キッチンの蛍光灯のカバーを取り替えたかったので,その買い物に行った.しかし,取替えの作業中に天井が少し傷んでいるのを発見したので,翌日修理することに決定.
さて10月2日,日曜日.僕は朝からホームディポ (Home Depot) に蛍光灯を天井に取り付けるための部品などを買いに行く予定だった.午後には,花壇を拡張してチューリップの球根を植えよう,と思っていた.フットボールも見なくてはいけない.
ところが,僕が起床した後すぐ,まりも起きてきて「大変,おしるしがあった!」と言ったので,その日の予定はがらっと変わった.すぐに病院に行く,ということなんだろうか?陣痛も今までよりちょっと強くなったようだった.それまではおなかが硬くなる程度だったけれど,この日の陣痛は少しだけ痛い,ということだった.とりあえず,陣痛の間隔の様子を見ながら日常生活を送ることにした.
陣痛の間隔が5分になったら病院に電話する,と習っていたのだけど,まだ予定日までかなりあったので,まりも僕もやや半信半疑だった.特にまりは「本当の陣痛は腰から痛くなるって言うけど,今はただ下腹部が痛いだけだからこれは違うに違いない」と言っていた.朝のうちは陣痛の間隔は20分ほどあったので,まだかなり余裕があったけど,どうやらその日のうちに病院に行くことになりそうだったので,歯ブラシとかコンタクトレンズのケースとか,最後まで準備できなかった品々を出産準備バッグにつめた.
僕は蛍光灯の修理も花壇の拡張も諦めたので,お昼頃には特にやることがなくなったので予定通りテレビでフットボールを見た.まりもいつものようにインターネット閲覧なんかをして,ふたりとものんびりと午後を過ごした.
時間が経つにつれて陣痛が少しずつ激しくなって,間隔も短くなった.でも例の腰からの痛み,はなく、どうも下腹部だけが痛いようだった.まだ,まりもかなり余裕だった.
そして午後5時頃,陣痛が5分間隔になったので病院に電話して,その日の当直だったノーマン先生に状況を伝えた.いろいろ訊かれたけれど,最後の質問は「陣痛が痛くて泣いているか?」だった.「いやまだです・・・」と答えると「では,あと2時間ほど様子を見なさい」と言われた.電話をしてすぐに出発するつもりだったので,ちょっと拍子抜けした.
この急に出来た2時間を使ってまりはシャワーを浴びて、僕はアイスクリームを買いに出かけた.ふたりでアイスクリームを食べたりしながら7時になるのを待った.でも7時になっても,陣痛の間隔は5分だったり10分近かったりしたので,この期に及んで,もしかしてまだなのかな,という気持ちもあった.7時半頃,とりあえず,という気持ちでもう一度電話をした.「あともう1時間ほど様子を見ましょう」と言われるのをうっすらと期待していたのだけど,「まだ陣痛はきているか?」という問に「はい」と答えると,それ以上何も訊かれず「では来なさい」と言われた.
病院に向かう車の中でも何度か陣痛が来た.そのうちの一度が今までで一番痛かったらしく,まりは少しだけ泣いていた.「やっぱりノーマン先生の言うことは正しかったんだ」と思った.
あまり早く病院に行くと一度帰らされることがある,というのは何度も聞いていた.ふたりとも,もしかして早すぎるかも,と思っていたので,手提げかばんひとつだけ持って,他の荷物は車に残しておいた.
日曜日の夜だったので,普通の入り口は開いていないものだと思い,言われていた通りに ER (緊急の入り口)に行った.すぐに入れるのかと思っていたけれど,入り口で,荷物検査を受けたり,書類にサインをした後,少しだけ待たされた.しばらくして、まりを車椅子に乗せて分娩室 (LDR - Labor Delivery Recovery) に向かった.
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-03-2005
誕生の話1:陣痛
誕生の話2:麻酔
誕生の話3:プッシュ
誕生の話4:誕生!
誕生の話5:泰河
分娩室に入るとすぐに看護婦さんが検査に来た.registered nurseというランクのちょっと医者よりの看護婦さんだ.胎児の心拍数と陣痛の強さをモニターするようにセンサーをつけた.この時点で子宮口は 3cm開いていた.その看護婦さんによると,このままここにいるか,家に帰ってもう少し様子を見るかはノーマン先生が決めるけど,陣痛もかなり規則的に来ているからこのままここにいることになると思うよ,ということだった.
どうやら帰されることがなさそうだったので,車に置いてきたお泊りセットを取りに行くことにした.その時,ER を通らずに普通のルートで駐車場まで行けることを看護婦さんから聞いた.日曜日でも夜の9時半までは ER を通る必要はなかったのだ.
荷物を取ってきてからは写真やビデオを撮ったりして時間をつぶした.陣痛はかなり規則的に来るようになっていた.陣痛の大きさが数値になってモニタに出るので,その数値が上がり始めると「来るよ来るよ」とふたりで覚悟を決めることが出来るようになった.僕は横から見ているだけなのでで「どうやら30を超えるとかなり痛いみたいだなぁ」と観察していた.習った呼吸法を使うまでもなく,じっとこらえてやり過ごせる程度の痛みだった.
しばらくして当直のノーマン先生が登場した.ちょうど難産に立ち会っていたようで,かなり遅れての登場だ.でもそれまでは看護婦さんたちがちゃんとお世話してくれていた.ノーマン先生は内診をして「もう少しねぇ」という感じで去っていった.まだ長く待つことになるようだ.
病院に着いたのが8時頃で,その後2時間ほど経った頃になると陣痛もかなりひどくなってきた.モニタの数字も50から60ほどに上がるようにっていた.ちょうどその頃,硬膜外麻酔 (epidural) の説明に神経科の医者が来た.以前から出産にエピデュラルを使うことを伝えていたので,時間を見計らってやってきたようだ.すごく若く見えるその医者が麻酔についての詳しい説明して,まりが何枚かの書類にサインした.サインしている途中で陣痛が来たので,少し時間がかかった.麻酔がしたくなったら呼んで下さい,と言い残して彼は去って行った.
すぐ入れ替わりで看護婦さんが来て,また子宮口の開き具合を図ると,そろそろ 4cmということだった.そこで,神経科の医者が去ってすぐだったけれど,すぐに麻酔の準備を始めるように頼んだ.少し前に出産した友達に「麻酔をかけるのを遅らせようとがまんしても何もいいことないよぉ」と聞いていたので,早い段階から麻酔をかける心の準備をしていた.ただ、準備に20分ほどかかるので,それまでは痛みに耐えなくてはいけない.
先ほどの若い医者が戻ってきて,いろいろ準備をしている間に年配の貫禄たっぷりの医者が入ってきた.彼はまりの名前を見て,日本人ですか?と訊いた.そうだ,と答えると,顔の前で両手を合わせて何か挨拶をした.どうやらちょっと勘違いしているようだった.もしかしたら,お祈り?
若い方の医者がアシスタントで(医者かどうかも定かではなかった)年配の医者が実際に麻酔をかけるのだと思ったけれど,結局若い方の医者が最初から最後まで作業をして,年配の医者はその間ずっと何かの書類に目を通したり,メモをとったりしていた.
硬膜外麻酔の細い管を背中から挿入する辺りに,まず小さい針で麻酔をかける.その細い管を背中から挿入するのを一度失敗した.若者の医者は「まただよぉ,今日は変だなぁ」と独り言を言っていたので,調子の悪い日だったようだ.
その小手術の間も陣痛は容赦なくやってきたのだけど,まりは動くこともできないので,ひたすら我慢.硬膜外麻酔の準備が完了したのは午後11時半だった.まりによると,黄色い液体が背中から入るようになると,とたんに痛みを感じなくなった,とのことだった.常に一定のペースで麻酔は注入されるのだけど,特に痛みがひどくなった時にちょっとペースをあげることもできるようになっていた.
これで陣痛も去って一段落だ.「いきみ始めるにはまだもう少し時間があるから眠りなさい」と言われたので、まりはベッドで、僕は伸ばすとベッドになるソファで眠った.
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-03-2005
誕生の話1:陣痛
誕生の話2:麻酔
誕生の話3:プッシュ
誕生の話4:誕生!
誕生の話5:泰河
まりも僕もほぼ一睡もできなかった.出産の直前で神経が高ぶっていたというのもあるけれど,もう少し直接的な理由は,部屋の外がとてもうるさかったからだ.ちょうどナースステーションの目の前の部屋だった.看護婦さんを呼びたい時は部屋を出て直接呼べばいい,という利点もあったけど,非常にうるさかった.陽気な夜勤の看護婦さん達10人くらいが,とても楽しそうに笑いを交えて団欒してた.夜通し.アメリカの看護婦さん達ってどこに行ってもきっとこんな感じだろうな.
部屋が寒かったので毛布を何枚か持ってきてもらった.部屋の設定温度を自由に調節できたのだけど,その時はそれに気づかなかった.おかしなことに,看護婦さんも部屋の設定温度を上げようとはせずに,僕が頼む度に毛布を持ってきてた.ちょうど何枚目かの毛布を持ってきてもらった看護婦さんが部屋にいる時に破水した.
午前2時頃の内診で,赤ちゃんのあごがあがってる,というちょっとした不具合がみつかった.産道を通る赤ちゃんはあごをひいて後頭部から出てくるはずだけど,どうやらあごを上げて顔面から突き進んで来ようとしていたようだ.きっと早く外が見たかったんだろな.
重大問題ではないけれど,ノーマン先生によると「これでも出てくるけど,ちょっと余計にいきまないとだめよ」ということだった.ちょっと頭の向きを直すために,まりに仰向けではなくて横向きになるように指示をした.これは「プレッツェル」という作戦のようだった.専門の医学用語かただの業界用語かはわからない.でもプレッツェルといったら,すごくねじれている感じがする.それでもあまり状況が改善されなければ,最終的には吸引しないといけないかもしれない、と言われた.
午前3時過ぎの内診で,プレッツェルの効果大でかなり改善された,と告げられた.
午前4時半にまた追加の毛布を持ってきてもらった.その時,子宮口の開き具合を測ってみると,10センチになっていた.いよいよプッシュの始まりだ.ノーマン先生が登場するのは最後の最後だけで,それまでは陽気な看護婦さんひとりだけだ.
その看護婦さんがまりの右足を持って,僕が左足を持ってプッシュ(いきみ)が始まった.麻酔のおかげで陣痛を感じないので,モニタに表示される陣痛度の数字を見てタイミングを計る.まりは,感覚がないのでちゃんとプッシュできているのか判らない,と言っていたけれど,看護婦さんが何度も何度も褒めてくれた.
どうやらちょっと暇な夜だったようで,しばらくすると別の看護婦さんが手伝いにやってきた.でも看護婦さんがふたりいたところで,特にやることはなくて,10秒間プッシュする時の数を数える担当になった.プッシュしている10秒間はみんなでがんばっている,という感じだけど,陣痛が来るのを待っている間は,このふたりの看護婦さんはずっとおしゃべりをしていた.なかなか楽しい会話だったけれど,陣痛が来ているのを見逃さないかちょっと不安になった.
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-03-2005
誕生の話1:陣痛
誕生の話2:麻酔
誕生の話3:プッシュ
誕生の話4:誕生!
誕生の話5:泰河
4時半からプッシュ(いきみ)を始めたけれど,途中でまた赤ちゃんの頭の位置の調整のため,30分ほど姿勢を変えてじっとしていた.その休憩の後もひたすら陣痛の度にプッシュして,意外にすぐに赤ちゃんの頭が見えるようになった.でも,プッシュしている時は頭が見えるけど,していないとまた引っ込むという状態がかなり長く続いた.少しこう着状態だったので,ちゃんとプッシュできているのか不安になったけれど,看護婦さん達が何度も何度もプッシュの仕方がうまいと褒めてくれた.
どうやら,へその緒が首にかかっているようで,プッシュをすると赤ちゃんの心拍数が落ちるという事態になった.内診でもそう確認されたけれど,プッシュをやめると心拍数はすぐ平常に戻るので問題はない,ということだった.赤ちゃんの心拍数を確認しながらのプッシュで,僕はかなり心配だったけれど,看護婦さん達は相変わらずリラックスして楽しい会話を続けていた.
さらにプッシュが続くのだけど,途中で看護婦さんがまりに,鏡で見たいか訊いた.まりが見たいと答えたので,大きな鏡をセットしてまりが自分の出産の様子を見れるようになった.まりはプッシュすると見え隠れする赤ちゃんの頭を見て,がんばろうと思ったようだった.
夜通し毛布を何枚もかけていたのでまりの体温が37度5分ほどまで上がっていた。
午前7時近くになって,ついに頭が引っ込まなくなって,ここまで来てやっとノーマン先生が再登場した.赤ちゃんをとりあげる準備をして,いよいよ最後のプッシュに入った.
1度の陣痛で3回プッシュ(1プッシュは約10秒).「次のプッシュで出るからがんばって」というノーマン先生の励ましでプッシュを始めたのだけど,出なかった.頭がちょこっと出ていただけだったのが,もう少し出てきた.頭さえ全て出てしまえば後はするっと出てくる.次のプッシュでも,あともう少しというところまで行ったけど,まだ生まれなかった.そしてノーマン先生が登場してから3度目の陣痛の最後についに生まれた!
ノーマン先生に取り上げられた赤ちゃんは,やはりへその緒が首を一周していたけれど,先生がすぐにくるっとはずした.すると赤ちゃんは元気良く産声をあげた.
次はへその緒を切る作業で,これは僕の仕事だ.いきんでいる間ずっと足をおさえている仕事に比べたら小さな仕事だ.思ったより硬くて切れない,と聞いていた通り,意外と硬かった.見た目では,うどんを切るようににょりっと切れそうだけど,実際はゴムホースを切る感覚に似ていた.
その後すぐに赤ちゃんは,まりの胸に抱かれて,体を拭いたりする作業もすべてまりの胸の上で行われた.赤ちゃんとお母さん,お父さんとの肌の触れ合いを大切にする.
ずっと待ち望んでいた瞬間だった.まりも僕もうれし泣きしていた.

Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-03-2005
誕生の話1:陣痛
誕生の話2:麻酔
誕生の話3:プッシュ
誕生の話4:誕生!
誕生の話5:泰河
名前はずっと前に決めていた.性別が判明する前は,なんとなく女の子だろうと思っていたので,おなかの中に向かって女の子の名前で呼びかけていた.男の子というのが判明したので,呼びかけられなくなり,その時すぐに決まった.アメリカで暮らしていくので,英語でも呼びやすい名前というのが条件の一つだ.そこで泰河(たいが)と名づけた.単語の最後の R の発音をはしょるイギリス人が tiger と言うのと同じ発音だ.
以前,同僚と「僕に何かふさわしいニックネームはないだろうか?」という話をしていた時,僕のイニシャルは T だし寅年生まれだから「タイガー」はどうだろうか?と冗談で言ったところ「お前はタイガーと呼べるほどクールではない」 (You're not cool enough to pull off "Tiger.") と言われた.せめて息子にはクールになってもらおう,と思う.
それはさておき,出産直後の話に戻る.
一通り泰河が拭かれてきれいになると,部屋の中で健康チェックが行われた.泰河は熱が38度もあったので,別室に連れて行かれそうになったけれど,ノーマン先生が「赤ちゃんはお母さんの熱を受け継いだだけ.心配することは何もない」と言ってくれたので,心配しないことにした.新生児室に連れて行くのももう少し待っても良い,ということだった.
出産用の部屋から休憩用(入院用)の部屋に移る時に,泰河が新生児室に連れて行かれた.でもまりも僕も新生児室への出入りは自由で,まりはまだベッドから動けなかったけれど,僕は部屋の移動が済むと早速新生児室に向かった.
泰河はまだ体温が少し高めだったけれど,それ以外は何も問題はなかった.顔に傷がたくさんあって,白目が充血していたけれど,これは産道を通ってきたのだから当たり前のことで何も心配はない,とのことだった.身長も体重も日本人の赤ちゃんとしては平均的だったけれど,アメリカンサイズの赤ちゃんたちに囲まれて,泰河がとても小さく見えた.
出産は朝だったけれど,それまで徹夜だったのでまりも僕も一眠りすることにした.出産直後は気分が高揚していて,なかなか眠れないけれど,この後ゆっくり出来る時間はどんどん減ってくるから今寝ておいた方が良いと言われた.授乳の時間になったら泰河を連れてくる,とのことだった.
日本とアメリカで違うことは山ほどあるようだけど,アメリカでは生まれてすぐ授乳を試みる.日本の本では最初の2日ほどはまだ母乳が出ない,というようなことが書いてあったけれど,産後一時間で最初の授乳,と聞いていた.実際はもう少し時間が空いたけれど,その日のお昼には既に最初の授乳にチャレンジだった.まりも泰河も生まれて初めてのことでなかなかうまくいかなかった.授乳の指導を専門にする看護婦さんが何人もいて,そのうちの一人の看護婦さんの指導のもとでかなり長くがんばったけれど,やっぱり難しかった.しかし,生まれて2,3日は何も飲まなくても大丈夫だから,ということで気長にチャレンジを続けることにした.
日本では生まれてすぐの赤ちゃんは新生児室にいて,両親は別室ということが多いようだけど,ここでは,すぐに同じ部屋に連れてきてくれる.新生児室に預けることもできるけれど,両親のうち一人が起きていれば,ずっと同じ部屋に赤ちゃんもいていいことになっていた.まりはまだ麻酔が少し効いていて,ベッドから起き上がれないので,僕が最初のおむつを変えた.
この後麻酔が少しずつ切れて、まりは様々な種の痛みに襲われることになる・・・
Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 10-01-2005
長男誕生の予定日まであと 10日あまり。このあいだ、ビデオカメラ (camcorder) を買った。 最新のは DVD に直接録画できるらしいけど、普通のデジタルのにした。初めてビデオカメラを買ったんだけど、デジタルといってもカセットテープに録画する。うぅん、どうしてこれでデジタルなんだろう?
後日談 : データを 0か 1のデジタル方式で記録しているからだそうだ。なるほど。
メモリカードに直接録画するもんだと思って 1ギガのを買ったけど、メモリカードに録画するのは静止画だけらしい。だったら、1ギガもいらないので 256メガのに交換した。
買って一週間以上経つけど、まだたいした物は録画していない。