Sunday, Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, 01-24-2010
この前,state of personalized medicine というタイトルの,生物統計グループのチェア(一番偉い人)の講演を聴いた.
personalized medicine (オーダーメイド医療)とは,大まかに言うと,DNAなどの患者個々の情報を踏まえてその患者に適した治療をしよう,という考え方だ.
それを達成するためには,例えば「こういう DNA 配列の患者さんにはこの治療が効く」という情報がいる.まだそこまでは行き着いていない.
統計学をやっていると,いろんなことにつきまとう誤差というものに直面する機会が多々ある.それを避けては通れない.実験室で観測した値には誤差がつくし,人間がとある治療法にどう反応するかにも誤差がある.厳密に言うと誤差(エラー)ではないのかもしれない.全てをコントロールしたら全く同じように反応するのかもしれないけれど,どこまでをコントロールをして「全て」と呼んでいいのかわからないので,「説明がつかない,コントロールしようがない」ことは誤差として計算にいれる.
personalized medicine の話を聞いていると,この「誤差」の部分の話が欠落していることが多い.全てのことが決定的 (deterministic) で,点と点を直線で結んでいる感じ.実際には無数のごちゃごちゃした点の固まり2つをまっすぐか,あるいは緩やかなカーブを描いている線でなんとなくつないでみようか,というところだ.
で,チェアの話は,ヴァンダービルトで最近 personalized medicine というフレーズをよく聞くけれど,我々は本当はまだそこまで行っていないんじゃない?という話だった.統計をやっている多くの人は personalized medicine に対して(少なくとも今現在では)懐疑的だと思う.
チェアのメッセージのひとつに「簡単なこともできていないのに,難しいことをやろうとしている」というのがあった.従来の臨床試験をより良くする手法はあるけれど,あまり知られていないし使われてもいない.そういう所に目を向けるべきなのに,注目されるのは personalized medicine だ,というのがいけない.
○○
それを聴いていた時に,ジョンレノンの歌が回った.
Children, don't do what I have done.
I couldn't walk and tried to run
というのを,チェアに言ったら,これからこの講演をする時に使おうか,と言っていた.
personalized medicine の話を聴きに行って,ジョンレノンの歌に思いを馳せた,という話だったのに,長かったなぁ.
コメント
personalized medicineは人間、病気の多様性を前提としている点で優れた考え方だと思います。遺伝情報だけではなく、種々のパラメーターをひっくるめたきめこまやかな医療がゴールの一つではないでしょうか。そのゴールに向かって様々なコントロールトライアル、多くのpredictive factorに関する知見が必要なように思います。
ポジティブなフィードバックと科学技術の向上が医療の進歩に貢献することを祈ります。
本当はジョンレノンの話なのだけど・・・
例えば 臨床試験で 患者の 60%には効いたけれど 40%には効かなかった.これを「この薬は 60% の人には有効である」と結論づける.つまり 60%の人には100%の確率で効くけれど,40%の人には0%の確率で効く.
だけど,もしかしたら,本当は全ての人に 60%の確率で効くのかもしれない.本当は 80%の人には 55%の確率で効いて 20%の人には 80%の確率で効くのかもしれない.
今のところ,通常は「個人の治療に対する反応はばらつくものではなくて決定論的に決まっている」という仮定を暗にしています.クロスオーバー試験ができるような疾患であれば,個人と治療効果の交互作用を見極めることもできますが,そうでない場合「交互作用は存在しない」と仮定しなくてはいけません.実はこの仮定が personalized medicine を推し進める上で必要不可欠です.
CE Dean, "Personalized Medicine: Boon or budget-buster" (2009) で,そこのところも含めて他にもかなり悲観的な見解が示されています.